上五島石について

Kamigoto Stone Information

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「上五島石」
古来の火山活動による島の形成とともに
日本の四季と五島灘の海により形成された地球の恵み

崎浦地区採石と上五島石の歴史背景

History of Stone

  1. 崎浦地区採石の起業"石材採堀の起業年代については記録として祥かではないが古人の言伝えによる現存者の記憶によれば文久三年西暦 (一八六三年) 建築の長崎グラバー邸の使用石、オランダ坂の石畳は全面的に五島産の石であり、それも本町崎浦地区(赤尾、友住、江之浜) より採石されたもので今より一三〇年前の時代より起業されていたものである。"
  2. 崎浦地区採石業の最盛期"採石業の最盛期は、明治の中期より大正年間が最盛期で職人数、帆船数も相当数に上り採石一丁場 (一現場)で帆船一般分の生産積出をしている。その頃には販売先も広範囲となり、長崎、佐賀、福岡をはじめ壱岐対馬、 平戸 五島一円に積出、昭和初期には東京、大阪方面にも貨車送りをしている。石碑彫刻は江之浜郷墓地にある。"
  3. 石碑造りの普及"坂本竜馬ゆかりの難船乗組員の墓が故石田留蔵 (江之浜) の手により建立されており、元治慶応年代には故石田留藏 (江之浜) 故立木政吉 (友住) ほか、数人の者により石碑造りが広められ明治末期より大正年間には相当数の彫刻職人に上り石碑も地元産の砂岩石主体であったのが、大正初期頃より黒島石材を購入して刻まれた。大正末期より昭和の初期になって採石山の原石が乏しくなり、なお後山が高くなったことにより採堀困難となった。
  4. 石碑専業化と採石事業所の衰退"その頃より崎浦三郷の職人は砂石、又は黒島石を材石として石碑専業一本の業体にかわり現在に至っている。石碑最盛期は、終戦後の昭和二五年~昭和三〇年頃までで当時の業者数六四、従業者数一七〇名と崎浦地区三部落は槌音の響で賑やかで活気があったが、そののち衰退の道を辿る。"
  5. 石工事業所の後継者も不足"昭和47年には事業所数一六、従業者数二〇名と衰微、年令構成にあっても現在三〇才代が三名程度で他は四○才以上六五才と従事者は年々少なくなる現状にあり若手の後継者づくりに苦慮している。"
  6. 「頭ヶ島天主堂」
    国の重要文化財登録
  7. 竹村石材工業起業、採石業の復活旧有川町の強い要望(頭ヶ島天主堂前に地元の砂岩を石畳に使用したい、長期的に上五島本土全域において使用し地域の活性化を図りたい)もあり竹村石材工業起業、それまで途絶えていた採石業を新たに崎浦地区で始める。起業するにあたりそれまで岩石である砂岩石、砂石と呼ばれていた石に「上五島石」と名称を付ける。
  8. 「上五島石」のブランディング平成22年5月17日「新上五島町産業企業支援事業」においてブランディング化を図り崎浦地区で産出される砂岩の石の名称を正式に「上五島石」と命名。長崎県と新上五島町の承諾を得て支援を受けることとなる。
  9. 潮騒工房起業「上五島石」の認知度を広げるため「潮騒工房」を起業。「上五島石」を活用した独自の商品を開発し、観光物産センター等において販売を開始。
  10. 「崎浦の五島石集落景観」
    国の重要文化的景観へ登録
  11. 「頭ヶ島天主堂」
    「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一部として世界遺産に登録

※引用:昭和47年発行有川町郷土史より

上五島石Q&A

Question and Answer

現在では赤尾郷、江ノ浜郷、友住郷、頭ヶ島の4集落を合わせて崎浦地区となっています。

正式な名称は「砂岩」になります。商標登録を行う際に石には名称を付けることができないため「砂岩」となります。産地名を名称としている石は古来より産地名を用いた名称で商いを行っていたため知名度が高くその名称が用いられている。

石に名称は付けられないため商品販売において「上五島石」として販売を行い、地質学上、地図を見てわかるように、五島列島に広がる五島層群(砂岩地域)があることから、国の文化的景観に選定(H24年6月16日)された地域においてのみ「五島石」と呼ぶことにしたという町役場の見解です。現在崎浦地区から産出される砂岩は「上五島石」である。

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「砂岩」、「砂石」呼ばれていた。島外においては「五島産の石」、「五島産の砂岩」と呼ばれていた。当時(平成8年)の石工さんの証言では地元崎浦地区では崎浦地区で採石された砂岩のことを「砂石」(すないし)、「砂岩」(砂岩)の呼び方をしていた。補足としまして「五島石」の呼び名については歴史的な背景を考えても昔から呼ばれていたのではなく文化的景観である「崎浦の五島石集落景観」の答申(H24年6月16)を受けてからのものとなります。その根拠としましては有川町郷土史(昭和47年発行)によると、黒島石は名称があるのに対し崎浦地区から採石されている石には砂岩石又は砂石と記載されています。このことから、当時「五島石」とは呼ばれておらず五島列島産の砂岩として流通していたことが分かります。

採石山の原石が乏しくなり、なお後山が高くなったことにより採掘困難となりほとんどの山が閉山したことが要因とされています。しかし実際には採石法(昭和25年制定)や火薬取締法(昭和25年制定)の制定により採石業者の取り締まりが厳格化したことはより衰退を促進させた要因ではないかと考えられております。またそれに代わる捕鯨産業の

明治中期から大正年間にかけて最盛期を迎えた採石業者も昭和後期には途絶え現在は「竹村石材工業」(平成12年起業)一社のみとなっています。

上五島石エピソード

Inside Story

当時(H24年)採石業においては平成12年より・潮騒工房においては(H22年5月17日午前10時役場産業再生課訪問)より崎浦地区で産出される砂岩の石の名称を「上五島石」として営業を行っておりました。「崎浦の五島石集落景観」答申の際に万が一景観が損なわれた場合の「修繕・復旧」の担い業者として島内唯一の採石業者としてお話をさせていただき採石場の紹介、採石跡の巡回等ご協力をさせていただきました。答申当時上五島内において「五島石」という呼称は無かったため「上五島石」の名称で事が進んでいるものもと思い込んでおりましたが答申された内容の記事はすべて「五島石」と名称が改められておりました。名称が改められるということは一切お伺いしていなかったため当時10年前以上から「上五島石」として産業を行っている身としましては大変困惑したのを今でも鮮明に覚えております。

※このエピソード当時の想いを綴った文章がありましたので興味のある方はご覧ください。当時の熱い想いが伝わればと思います。

採石された石は船を利用して運搬されていた。一度の航路で少しでも多くの石を運搬するために沈むか沈まないかのぎりぎりで積載を行っており、まさに命がけで仕事を行っていたようです。

まだ自動車や交通手段が普及していなかったころ新たな仕事を得るために片道30km以上の距離を歩き商談を行うこともあった。また勤務時間においても現代とはかけ離れた仕事量をこなしており、朝夜明け前から仕事にかかり日が暮れたあとも仕事をしていたようです。

「おじさん、この砂岩って五島石って呼ばれていたの?」と聞くと苦笑しながら「あよぉー、、、砂石たい!!」、「ですよね」当時竹村石材工業の工場長が崎浦地区内の石工さんとの談笑にて話した内容の一部です。

上五島石施工事例

Example of Construction

  • 頭ヶ島天主堂石畳

    頭ヶ島天主堂前石畳施工時利用

    ・当館より徒歩5分

  • 蛤浜休憩所

    蛤浜休憩所施工時、壁面・石畳・階段箇所に利用

    ・長崎県南松浦郡新上五島町七目郷

  • 政彦神社石畳

    ・長崎県南松浦郡新上五島町奈摩郷896

  • 弁財天宮石畳

    弁財天宮周辺石畳にて利用

    ・長崎県南松浦郡新上五島町有川郷

  • 北魚目石碑

    文学博士穎原退蔵氏顕彰碑設立時に利用

    ・長崎県南松浦郡新上五島町小串郷1074

竹村石材工業

竹村石材工業では上五島石の販売を行うとともに上五島石の魅力をお伝えできればと思っております。

-「上五島石」名称 石への想い -

五島列島の小さな集落という限られた場所を今後より多くの方に知っていただけるよう、日本の地名に1つしかない上五島!上五島といえば五島列島の中通島!っと、私たちの住む島が多くの方に伝わるよう、また今は五島列島も「五島市」・「新上五島町」となり、その昔「下五島」・「上五島」と呼ばれていたことは風化されていくであろう・・・郷土史を見てもその呼び名など出てくるわけもなく・・・その頃を生きてきた私にとってはこの呼び名「上五島」を後世に残していきたい思いもあり一番この地の石の名前にふさわしい「上五島石(カミゴトウイシ)」と名称いたしました。

-「竹村石材工業」代表者の想い -

上五島崎浦住民として長くこの地にいますが、五島石は文化的景観に答申されて以降の名前であり、あたかも昔から呼ばれていたというのは真実ではない。学校等で地元史の授業の際も教会に関しては十分すぎるほど学んだが五島石ではなく、地元の砂岩もしくは砂石である。何百年に至る長い旧有川町郷土史!人の営み、文化や歴史というものがこのように変わってしまうことに何とも言いようのない深い悲しみを抱いております。採石業を20年営み少しずつではありますが私が切り出した上五島石の施工場所も増えてまいりました。私の仕事までもがやがて五島石と呼ばれるようになるのではと思いこの想いを綴っております。「上五島石」をご存じの方、またはこれから認知される方へ正しい認識と歴史をお伝えしていけますよう配信活動や営業活動を行って参りたいと思っております。「上五島石」を使用した工房商品・上五島潮騒焼きと、崎浦地区唯一の砂岩採石業者商品「上五島石」を今後ともよろしくお願いいたします

基本情報

Basic Information

事業所名 竹村石材工業
所在地 〒857-4103 長崎県南松浦郡新上五島町江ノ浜448番地16
代表者 竹村 克成
事業内容 上五島石採石・加工・販売・
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